会津藩物語
第九話 学問好き正之公
保科正之公の前に、会津を領した大名は、ちょっと毛色の変った蒲生氏郷を別とすれば、皆戦国名だたる荒々しい大名ばかりでした。キリシタンで、茶道などにも造詣が深った蒲生氏郷にしても歴戦の雄です。伊達政宗、上杉景勝、加藤嘉明に至っては戦争ばかりやっていたような連中でした。
これに対し、風光の美しい信州高遠で少年時代を送った正之は、保科氏の菩提寺であった建福寺の高僧鉄舟について禅や儒学を学びました。鉄舟は優秀な学僧で、正之は大きな影響を受けて次第に読書を好むようになり、儒学に次第に傾倒して行きます。
会津二十三万石(実質は二十八万石)の当主となった正之は、山崎闇斎を江戸の屋敷に招いてその講義を聞き、その成果として「会津三部書」といわれる研究書を著したのです。この本は人倫、道義にかかわる著書で、その研究は奥深いものがあり、いわゆる会津学の基礎的な研究資料となったのです。
正之は儒学にとどまらず、神道にも強い関心を持っていました。そして当時の神道の第一人者、吉川惟足に学んで奥儀を授けられています。奥儀を授けられたばかりでなく「土津」(ハニツ)という霊号を与えられました。
磐梯山麓に土津神社があります。この神社は会津松平氏の藩祖となった正之をまつった神社で、吉川惟足から贈られた霊号が社名となったわけです。会津若松市の東郊に、うっそうとした森に囲まれた院内御廟があり、苔むした石畳の道が頂上まで続き、頂上の広場には、異様な亀の背に乗った巨大な石塔が立並んでいます。歴代藩公のお墓で、いずれも神道によるものです。正之の影響がいかに大きかったかこれでわかります。 (第十話へ つづく)
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