【会津藩物語】第十話 家訓十五ヶ條

 

会津藩物語

第十話 家訓十五ヶ條

 

   名君保科正之公がやった最初の仕事は、有名な「家訓十五ヶ條」の制定です。この家訓は正之公の高い学識を背景として、正之公自身によって生み出されたもので、毎年正月には学校奉行が城中において、うやうやしく読み上げ、君主共に平伏して拝聴するならわしになっていました。

   「家訓十五ヶ條」は、会津藩歴代藩主はもとより、全藩士の精神的な支柱であり、会津藩の行動規範そのものでありました。本文は漢文ですが、意訳したものを次に紹介しましょう。中でも有名なのは第一條で、明治維新の際薩長に抗して頑固に徳川方に従ったのは、この第一條が示すところに拠ったものといわれています。

   一、大君の義一心に大切に忠勤を存すべし列国の例をもって自ら処すべからずもし二心をいだかばすなわちわが子孫にあらず面々決して従うべからず。

   この場合、大君というのは将軍です。正之公は二代将軍秀忠の子で、三代将軍家光の弟になります。名君正之公はそのせいもあって幕閣につらなり、会津藩だけでなく家光を助けて国の政治にも力を注ぎました。会津藩家訓は、以下次のように続きます。

   一、武備は怠るべからず士を選ぶを本となすべし上下の分乱るべからず。
   一、兄をうやまい弟を愛すべし。
   一、婦人女子の言は一切聞くべからず。
   一、主を重んじ法をおそるべし。
   一、家中風儀をはげむべし。
   一、賄を行い媚を求むべからず。
   一、面々えこひいきすべからず。
   一、士を選ぶには便僻便ねいなるものを取るべからず。

   婦人女子の言は一切聞くべからず、というのは男女同権の今日では、いささか首をひねりますが「家訓十五ヶ條」は今日もなお、脈々と会津人の心の中に流れているといえましょう。  (つづく ※近日公開予定)

会津藩物語 第十話

 

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