会津藩物語
歴史銘菓 会津藩物語 ゆずとバニラの入った薄焼せんべい
芦名直盛が鶴ケ城の前身である東黒川館を築いたのは至徳元年(一三八四)とされています。それから数えて昭和五十九年は六百年というおめでたい年になります。芦名氏のあと会津を治めたのは、磐梯山麓摺上原の決戦で、芦名氏を倒した独眼竜伊達政宗その頃お城は、黒川城といっておりましたが、政宗はお城には入らず、興徳寺を政庁として会津に号令したということであります伊達政宗は秀吉によって北方に追いやられ、その後会津に入ったのは蒲生氏郷で、文禄二年(一五九三)黒川城を鶴ケ城と命名し町の名前も若松と改め、七層の堂々たる天守閣をつくりました。その後上杉氏を経て会津領主となったのは加藤嘉明、明成父子で、ことに明成は鶴ケ城の七層の天り守を五層に改めた他、北出丸や西出丸を築くなど今日見られる鶴ケ城の結構を完成したといわれます。寬永二十年(一六四三)三代将軍家光の異母弟保科正之が最上から会津に封ぜられました。保科氏は後に松平氏を名乗り、徳川御親藩として明治維新まで会津を統治しました。会津藩と呼ばれるようになったのは松平氏からで、名君正之公が定めた家訓を大事に守り、東北の雄藩として幕末の難局には京都守護職をつとめて都の治安に当り、明治戊辰の戦争ではたった一藩で薩摩や長州の大軍を引受けて戦かったことで知られています。
その際白虎隊や娘子軍の悲劇を生んだことはあまりにも有名ですが、鶴ケ城は一カ月にわたって西軍の猛攻に耐え、不落の名城とうたわれました。いま見る美しい天守閣は昭和四十年に再建されたもの、古城のおもかげを良く残しています。ゆずとバニラの入った薄焼せんべい歴史銘菓「会津藩物語」は鶴ケ城築城六百年を記念して発売いたしました。末長くご愛用下さいませ。
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