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2012 年 7 月 8 日 のアーカイブ

セブンイレブンの軌跡5

2012 年 7 月 8 日 日曜日

『流通革命』とは
常識の殻を破り
新しい価値を見出だしたこと。

おにぎり、弁当、おでんなど
日本のファストフードをコンビニに導入しました。

コピーサービス
公共料金支払い
銀行ATM
商品宅配サービス
などなど
新しい革新を続けます。

鈴木さんは言います。
『世の中の変化がライバル。
同業他社ではない。』

『時代のニーズに合わせて
進化させること。』

アメリカのセブンイレブンを経営している
サウスランド社は、
過去の成功体験に頼りすぎ
時代の変化やニーズに進化できませんでした。
経営不振となり
鈴木さんは
3年で経営を再建し
サウスランド社を買収しました。

再建には、日本式の経営ノウハウや革新を活かしました。
元祖だという意識など
相当な抵抗はあったそうです。

『ライバルは時代のニーズ』

ん〜鈴木さんカッコイイ(^O^)

セブンイレブンは変化しつづけるのでしょう。

僕らも時代のニーズにあわせ
進化しなくてはならないと思います(^O^)

セブンイレブンの軌跡4

2012 年 7 月 8 日 日曜日

日本式のコンビニマニュアルを確立するため
あらゆる革新を繰り返しました。

狭い店舗で補充しやすように
ジュースなど後ろから補充するアイデアを考えました。
先に入れてたのが前にきて
さらに冷えてるのが前に来るから
合理的(^O^)

1974年昭和49年5月15日
フランチャイズ第一号店は
豊洲にオープンしました。
最初に売れたのはサングラスでした。

初日の売上39万4千円。
1ヶ月後
売上は倍だけど、
利益は以前とかわらないとわかりました。

そこで気がついたのは売れている商品なのに欠品していること。

オーナーに聞くと
2階は在庫の山ばかり。
当時は
問屋の配送もケース単位が常識でした。

『発注した分だけ小分けで運んでもらおう!』

そんなの無理ですよ!とまわりに言われました。

『もともと素人集団だ。
だから常識を変えられる!』

素人集団というのを強みに変える
鈴木さんカッコイイですね。

『流通革命』が始まりました。

1号店の回りに店舗を増やし、小分け配送を可能にしました。

『単品管理』の分析や
『正月の配送問題』など
問題を解決していきました。

『常識の殻を破ることで、新しい価値を生み出す』

セブンイレブンの軌跡3

2012 年 7 月 8 日 日曜日

鈴木敏文会長は
これまでいろんなめぐり合わせに助けられたと言います。

おでんや
カップラーメンのお湯も
会長のアイデアだそうです。

1973年昭和48年
ヨークセブンが設立されました。

そんなものやってもだめだと
みんなに思われました。

労働組合委員長、元商社マンなど
15人の素人たちで始められました。
みんなで日本初のコンビニを作ろと必死でした。

セブンイレブンのアメリカでの研修センターに行きました。

アメリカの経営マニュアルに期待を膨らませていました。

そんな中
研修センターを見てびっくりしました。

レジの打ち方
掃除の仕方
釣銭の渡し方など
当たり前のことばかりでした。

頼みの綱の
『経営マニュアル』を見せてもらいました。

当たり前のことばかり。
大失敗したと思ったそうです。

しかし、やめるわけにはいかないと
改めて決心しました。

『小さな店でも、これからの時代生き残ってみせる』
『アメリカ式のコンビニは日本で通じない。
自分たちで日本のコンビニを作っていくんだ!』

そう決心しました。

セブンイレブンの軌跡

2012 年 7 月 8 日 日曜日

アメリカで見たセブンイレブンを
鈴木さんは
イトーヨーカ堂役員会で報告しました。

当時スーパー全盛期。
値引きせずに売れるわけがない!
アメリカ行って何を見てきたのか?
と批判されました。
人事、広報の管理部門にしか経験していない鈴木さんは
素人はだから困るとまで言われました。

意地でもこの仕事をやり抜くと決めました。

再びアメリカへ。
サウスランド社はヨーロッパ進出を考えており相手にされませんでした。

『ちょっと遠いけど何でもそろうスーパーと
近くで便利なコンビニの共存共栄』を目指しました。
1973年から交渉スタートし、
サウスランド社との合弁、
売上の1パーセントバック、
8年で2000店舗。
など無理な要求を突き付けられ
ナメられていました。

鈴木敏文さんは
1932年昭和7年長野県生まれ。

15代つづく地主で
父親は町の町長さん。
育てられかたは厳しく、
家の手伝いをしなければ
食事につけなかったそうです。

お母さんからは
『中途半端は許しません。やると決めたら最後までやり抜きなさい』
と教育されていたそうです。

日本は敗戦し、いつか国のために戦うと決めていた
鈴木敏文少年は
落胆しました。

そんな時代背景から
鈴木さんは
いつかアメリカに経済で逆襲しようと思いました。

サウスランド社との交渉では

『まず儲けることでなく、コンビニが広がらなければ、あんた達も儲からない!』
と説得し
売上の1パーセントから0.6パーセントバック、
2000店舗から1200店舗への展開を約束させ
交渉を進めました。

鈴木さんは
セブンイレブンの『どの店も成功する マニュアル』が頼りでした。

イトーヨーカ堂では
新会社として創業するよう言われ
資本金は自腹で
不足は借り入れして
なんとか始まりました。

『アメリカ本社の経営マニュアル』
が頼りでした。
役員会でも
そこに何かあるはずだと
熱く語りました。
鈴木敏文さん39才。
日本のセブンイレブンの創業でした。

『中途半端でなく、やると決めたら最後までやりぬく』
母親からの教えでした。

セブンイレブンの軌跡

2012 年 7 月 8 日 日曜日

先日の『金スマ』を見逃した方へのアウトプットの共有(^O^)

メインは僕の大好きな
セブンイレブンジャパンの
鈴木敏文さん!

『セブンイレブンの軌跡』

昭和40年頃
大量生産
大量消費
高度経済成長の時代。
スーパーマーケット全盛期。

『お前たちは俺達商店街をつぶす気か!』
と言われながら
小さな店と大型店との共存共栄を目指した男。
イトーヨーカ堂
人事、広報の幹部だった
鈴木敏文さん。

大型スーパー先進国アメリカで
デニーズとの契約が難航してた頃。
アメリカに何度も行ってました。

サンフランシスコのからロサンゼルスへ
バスのトイレ休憩の時
たまたま立ち寄ったのがセブンイレブンでした。

雑貨店とも食品店とも言えない店。
セブンイレブンを保有するサウスランド社は当時、全米2万人の社員がいました。

町の氷屋から始めたのから、
お客様の利便性を考え
卵やパン、牛乳を売りはじめました。
そうしてコンビニへと発展したそうです。

『お客様の困り事を解決すると仕事になる』

午後はオフ

2012 年 7 月 8 日 日曜日

今日は午前中
店舗で放映しているモニターの編集を
夏用にやっと完成させました(^O^)
今日は午後から
2週間ぶりのオフ(^O^)

家族サービスタイム。
奥さんと子供つれて
近所のベトナム料理屋さんに
お昼ご飯食べに行ってきました。

帰ってから
録りためたテレビを鑑賞(笑)

先日の『金スマ』をメモしながら
見てました(^O^)
『セブンイレブンの軌跡』の
研究タイム(笑)
お見逃した方のたもに
アウトプットしまーす。