セブンイレブンの軌跡
アメリカで見たセブンイレブンを
鈴木さんは
イトーヨーカ堂役員会で報告しました。
当時スーパー全盛期。
値引きせずに売れるわけがない!
アメリカ行って何を見てきたのか?
と批判されました。
人事、広報の管理部門にしか経験していない鈴木さんは
素人はだから困るとまで言われました。
意地でもこの仕事をやり抜くと決めました。
再びアメリカへ。
サウスランド社はヨーロッパ進出を考えており相手にされませんでした。
『ちょっと遠いけど何でもそろうスーパーと
近くで便利なコンビニの共存共栄』を目指しました。
1973年から交渉スタートし、
サウスランド社との合弁、
売上の1パーセントバック、
8年で2000店舗。
など無理な要求を突き付けられ
ナメられていました。
鈴木敏文さんは
1932年昭和7年長野県生まれ。
15代つづく地主で
父親は町の町長さん。
育てられかたは厳しく、
家の手伝いをしなければ
食事につけなかったそうです。
お母さんからは
『中途半端は許しません。やると決めたら最後までやり抜きなさい』
と教育されていたそうです。
日本は敗戦し、いつか国のために戦うと決めていた
鈴木敏文少年は
落胆しました。
そんな時代背景から
鈴木さんは
いつかアメリカに経済で逆襲しようと思いました。
サウスランド社との交渉では
『まず儲けることでなく、コンビニが広がらなければ、あんた達も儲からない!』
と説得し
売上の1パーセントから0.6パーセントバック、
2000店舗から1200店舗への展開を約束させ
交渉を進めました。
鈴木さんは
セブンイレブンの『どの店も成功する マニュアル』が頼りでした。
イトーヨーカ堂では
新会社として創業するよう言われ
資本金は自腹で
不足は借り入れして
なんとか始まりました。
『アメリカ本社の経営マニュアル』
が頼りでした。
役員会でも
そこに何かあるはずだと
熱く語りました。
鈴木敏文さん39才。
日本のセブンイレブンの創業でした。
『中途半端でなく、やると決めたら最後までやりぬく』
母親からの教えでした。
