太郎庵の原点「太郎いも」

会津への想い、お菓子への情熱から生まれた太郎庵の原点。

 


小さな夢が詰まった「お菓子の蔵 太郎庵」が産声を上げた昭和54年。その原点とも言うべき商品「太郎いも」が発売されました。
それから半世紀、会津の季節を感じ素材にこだわり、心のときめきを大切にお客様とともに歩んでまいりました。
旬・郷・夢…これからも変わらない太郎庵のこだわりです。

さつまいもの王様 鳴門金時

徳島県鳴門市のJA里浦が誇る「里むすめ」は味・色・形ともさつまいもの特級品です。JA里浦のミネラル栽培はミネラルのバランスを整え「健康な土壌づくり」をおこなうことで、ビタミン・ミネラル豊富な「安全で美味しい」さつまいもづくりをしています。

お菓子づくりへのこだわり

産地指定の鳴門金時の新鮮さを損なわぬよう一気に皮を剥き、蒸し器で1時間じっくり蒸します。蒸しあがったさつま芋は、飴色に輝き、品質の良さが一目でわかります。

太郎いもに息づく会津人の教え

会津と鳴門との結びつきには、松江豊寿(まつえとよひさ)という会津人の存在があります。明治5年に旧会津藩士の長男として生まれた松江は陸軍士官学校を卒業し、中佐に昇進した時に鳴門市に設置されていた板東俘虜収容所の所長に就任しました。
収容所には第一次世界大戦で中国・青島で捕虜になったドイツ兵が収容されていました。
収容所時代の松江は、捕虜は愛国者であって犯罪者ではないとの思いから、陸軍の捕虜への扱いに反発、人道的に接するべきだと公言し、収容所ではドイツ兵が自由に活動することを認めていました。
松江が揺るがぬ信念を持って捕虜を扱った根元には、「ならぬことはならぬ」という会津人としての教えを受けていたからでしょう。
一言で言えば「武士の情け」です。松江の温情的な扱いによって、捕虜は鳴門の住民と自由に交流することができました。
ドイツパンや菓子、バターづくりを指導し、日本では初めてベートベンの「第九交響楽」を演奏したのも、鳴門だといわれています。

松江は所長退官後、会津に帰郷し、大正11年に第9若松市長に就任しました。
現在、鳴門市にはドイツ館が建設されてあり、松江を顕彰しています。
会津若松市は松江ゆかりの地である鳴門市と平成11年10月に親善交流都市を結びました。
「太郎いも」の背景には、そんな歴史とエピソードがあるのです。