‘行ってきました’ カテゴリーのアーカイブ
博多にて
2011 年 4 月 24 日 日曜日博多にて
佐藤芳直先生にお会いしました。
福岡で有名なパン屋さんの後継者である
友人の結婚式でした。
震災前に返事だしたのでしたが、
震災後
交通機関の回復もあり
なんとか来れて良かったです。
結婚式で
佐藤芳直先生がいらっしゃるのを知っていたので
それもお目当てでした(^O^)
式の始まる前
佐藤芳直先生を発見し
すぐさまお話しに行きました。
先日の
『会津フォーラム企画書』
の件でした。
先生の見解をお聞かせいただきたかったのです。
『福島は福島の名前を捨てず、復興できたほうがいい』
『会津は戊辰戦争で負けても、会津を捨てずに今がある』
確かに
賊軍である会津は
迫害を受けながらも
名前を捨てず
誇りを捨てずに
独自文化を守りました。
『生活スタイルの新しい文明の提案』
『昭和40年代の生活に
日本の生活レベルを戻せばやっていける』
『何を問い掛けられるか?』
『今の生活態度はこのままでいいのか?』
『エコ都市として、条例があればいい』
『会津から変わらねば、日本は変わらない』
いろんなアイデアをいただきました。
先生いつもありがとうございます(^O^)
福岡来たかいがありました。
レシュー
2011 年 4 月 22 日 金曜日今日は
西鎌倉にある
レシューさんに行ってきました。
JR大船から
湘南モノレールに乗り換えて
西鎌倉までです。
レールが上で
吊り下げ式の
軽いジェットコースターみたいな
モノレールでした(笑)
ぜひ
湘南モノレールでp(^^)q
西鎌倉から歩いて数分でレシューさんがあります。
西鎌プリン
でかなり有名なお店です。
僕ら業界でいうと
西鎌プリンは
日本で最も有名な半熟プリンのひとつです(^O^)
先日の伊那で
倉内シェフとご縁をいただき
店舗見学させていただきにきました。
社内での情報の共有化を新しいやり方でなさっており、
人間性の教育に力を入れてらっしゃいます。
教育の考え方がすばらしく
従業員さんの
人生が幸せになることに重きをおいていらっしゃいます。
倉内さんから
『作る人間がいい加減だったら、品質落ちる』
『人はごまかせても、自分自身はごまかせない』
『自分にプライドもてる仕事』
たくさん言葉いただきました!
ありがとうございます(^O^)
トレーナーズトレーニング
2011 年 4 月 22 日 金曜日今日のメインテーマは
トレーニング。
今回のセミナーで
一番僕が興味をひかれたテーマです。
教える人の教え方です。
まずは
参加者が交代で自己紹介。
アイスブレイクをかねます(^O^)
教える人は
相手に対して120%以上の力の差がないと伝わらない、
と言われました(^^ゞ
いろんな手法を教わりました。
ビデオ研修を通した
段階別の教育。
責任、判断、技術を段階別に分けるためです。
入ったばかりの方に
一日目で教えることを
3つのキーポイントに分ける。
また3つ以上ある時は
2つの動作に分けること。
ピークタイムと
オフピークタイムを経験させ
バックヤードでチェック表をもとにまた振り返ること。
なれたら
マニュアルに空白を入れた穴埋めテストをするといいそうです。
なるほど(^O^)!
教えるスタンダードを設定すること。
目的、方法、道具、手順、量、質、期限(標準時間)などです。
仕組み作りの考え方は、
標準化
単純化
システム化
分業
責任
一体化
の視点で考えます。
教えた人ができないのは
教える自分が悪いと言われました(笑)
教え方も
PDCAに沿って
自分がモデル作業者としてやって見せる(何故そうするのか説明も入れる)。
次に相手にやってもらう。
その良かった点を最低ひとつは認め、その動作のポイントとコツを再度教える。
そしてもう一度やってもらう。
その繰り返しです(^O^)
当たり前に思うかもしれませんが、
改めて聞いて
文字として整理すると
さらに納得です。
擬似体験判断トレーニングもやりました。
最後に質問しました。
『この二日間の先生のして下さった内容を、先生のようにやることが
トレーナーズトレーニングですか?』
先生は笑顔でうなずきました(笑)
これらの細かい内容は
会津帰ってから
マネージャーやチーフ、店舗責任者を中心に伝えようと思いました。
まずは
自分の能力でやってみて
経験重ね
先生みたくできるようになりたいです(^O^)
商業界セミナー
2011 年 4 月 20 日 水曜日石巻と女川視察
2011 年 4 月 13 日 水曜日今日は
宮城県石巻市と女川町に行ってきました。
明治維新が起きたとき
その前に
浦賀に黒船が来ました。
その時
黒船を見た坂本龍馬さんは
日本を変えなければ
欧米列強の植民地になると感じました。
黒船を見なかった人は
彼をアホ扱いしました。
黒船を見た人の中でも
大変なことが起こったとしか感じず
何もしなかった人も多くいます。
今回の津波は
あの黒船みたいなものだと思います。
会津も
放射能の風評被害や被災者の受け入れが続きます。
しかし、
生活はさほど変わらず戻ったように見えますが
観光経済の崩壊で厳しいのは変わりないです。
農業への風評被害も深刻です。
この危機管理意識をみんなに伝える役割が僕にはあると思ってます。
そこで
津波被害の爪痕深く残る
宮城県石巻市、女川町へ行ってきました。
東北道から三陸道へ抜け
石巻へ。
インター付近はさほどではないのですが
海側へ行くほど店も閉まっています。
道路は渋滞。
いたるところに
瓦礫や土砂、ゴミなどが積み上げられてます。
女川町へ続くトンネルを抜ければ
さらなる瓦礫の山が
道路脇に積み上げられてます。
風の匂いも悲惨さを感じます。
自衛隊の車両を至るところで見かけます。
道路にあった瓦礫を積み上げるのだけでも大変な作業だったかと思います。
同じ石巻市でも地形によって被害が少なかった地域もありました。
沿岸を中心に東日本全域がそうなのだと思います。
車がひっくり返り、潰れた家屋が押し流されガソリンスタンドの柱で止まってました。
女川町へ抜ける山道を下りました。
そこは
どこかの国の空爆を受けた後の光景と同じでした。
壊滅とはこのことでした。
この東北三陸海岸にはいくつもの
入江からなる港町があります。
津波も入江に集約され一段と強度を増したのかと思われます。
女川町もその入江からなる町でした。
そこら中に瓦礫と埃が舞い散る状態でした。
言葉は何も言えません。
がんばりようにも
家も町も家族も失い、
ただ思いを馳せることしかできませんでした。
短期的にみれば
炊き出しなどの物資やボランティアは必要です。
ただ今回はかなりの長期戦になるのは必至です。
中期的にみれば
沿岸部の復興に集中すれば
早くて三年でだいぶ復興してくるんじゃないかと
個人的に思いました。
長期的に見ると
一番深刻なのが福島県になると思います。
沿岸部支援は
各県でできても
放射能の風評が深刻です。
東北の玄関口である福島県。
東北全域に
観光などへの影響が懸念されます。
福島県を中心とした農作物や水産物への風評被害は
長期間します。
放射能の会津への被害は少なかったにしても
同じ福島県のイメージはぬぐえません。
イメージを払拭できることを
ひとつひとつ
やらねばなりません。
石巻のある避難所では
ある札をつけた
ちびっこボランティアがいるそうです。
何してるのかと聞くと
『あいさつボランティア』
と言っていたそうです(^O^)
いろんな人に
あいさつしまくってました。
ちびっこも踏み出してます。
大人が変わらねば
彼女たちを守れません。
踏み出した一歩が
二歩目につながる。
尊敬する
てんつくマンが言ってました。
『微力は無力じゃない』
『動けば変わる』
ドリームケーキプロジェクト
2011 年 4 月 11 日 月曜日今日は早朝会津をでて
長野県伊那市に来ました。
『NPO法人ドリームケーキプロジェクト』
の記念すべき第一回のフォーラムがありました。
日本全国から
50社以上の方々が集まりました(^O^)
『NPOドリームケーキプロジェクト』とは
『家族団欒の時間のお手伝いをする』
というコンセプトからなる団体です。
その理念の確認とみんなのアイデアや現状の共有のための時間として
今日集まりました。
お金が一番という
資本主義は崩壊しつつある今です。
お客様がつぶしたくないと思われる店しか残りません。
世の中大きく変わっています。
変われない変わらない人は淘汰され、
挑戦しつづける人は残ります。
この
『ドリームケーキプロジェクト』は
できることをできる人たちが
できる方法でやればいいという考え方です。
やれない人や協力できないときは
それはそれでいいという考えです。最終的に地域のため国のために
会社を守ることが大切です。
大切なことは
『家族団欒の時間のお手伝い』
という思いに賛同してくれるかが大事です(^O^)
今日の話し合いでは
『ホームページがゴール』
というテーマを見つけました。
いろんな店でいろんな活動が見れて
共有できるものにするこから始めることになりました。
無料でケーキを配る夢ケーキは手段でしかないのです。
チャリティーにしてもいいし、
復興支援スイーツを作ってもいい。
各自『家族団欒の時間のお手伝い』
のコンセプトに沿えば
なんでも有りですo(^-^)o
情報や活動、連絡事項を発信できるホームページ作りを目指します!
今日は思いを共有し、
『考えるスタート』として
素晴らしい記念すべき日になりました。
皆さん
志高い人ばかりで
かなりワクワクしまくる時間でした。
日本理化学工業大山会長
2011 年 2 月 23 日 水曜日海浜幕張での商業界ゼミに来てます。
二泊三日の研修。
今日の僕のお目当ては
日本理化学工業の大山会長と
宇宙開発で子供に夢を与える
植松努さんです。
大山会長の言葉を僕はよく引用します。
人間の幸せとは
愛されること。
誉められること 。
役に立つこと。
必要とされること。
知的障害をもつ方々を積極的に採用されてる会社さんです。
テレビや雑誌でかなり取り上げられます。
彼らの理解力に合わせた仕事を与えるのが社員の役目。
できなくても
考えられる段取りをするのが社員さんだそうです。
できないものを相手の責任にしない。
会社見学にきた小学生の手紙には
『天の神様は、どんな人にでも世の中に役に立つ才能を与えて下さったのだと思います。本日はありがとうございました。』
との感想の言葉。
すごい感性の子供たちですね(^O^)
大人の役割の大事さに
この手紙から気づかされたそうです。
大山会長が目指してるのは
『みんな幸せになる仕組み』
です。
お釈迦様の弟子に知的障害者がいたそうです。
彼は字も読み書きできないし
お経も読めない。
弟子たちは何故弟子にしておくのかお釈迦様にききました。
『彼が庭の掃除をしてる姿を見たらみんな手を合わせたくなる』
と返したそうです。
作家の村上龍さんは
『人の幸せの為に頑張っているのはブーメランみたいに自分の幸せに返ってくるんですね(^O^)』
と大山会長に言いました。
(さすが作家o(^-^)o)
三歳までに五感を刺激すれば
15パーセントの知的障害をもつ子供は
普通に学校に行けるようになるそうです。
人に優しく、人の幸せのために生きる。
きっと周りの人が応援してくれると思います。
みんなが幸せになる仕組みを
僕も夢見ます。
在りつづけること
2011 年 2 月 17 日 木曜日今日は東京からわくわく様です。
午前中
香川県高松の
夢菓房たから
濱田社長と
川崎市新百合ヶ丘のリリエンベルグさんに
見学に行きました。
やっぱり最高に素敵なお店で
僕が尊敬する横溝シェフにもお会いできました。
午後は
銀座三越のリニューアルした売り場を歩きまくりました。
さらに二人で銀座中を店を見学のため歩きまくりです(笑)
夕方別れ
僕が学生時代アルバイトしてた店へ(^O^)
十年以上たってもありました。
嬉しかったです。
店長も元気でいらっしゃいました。
昔を思いだします。
店って
在りつづけること
に付加価値がつきます。
それは
思い出という付加価値。
太郎庵も在りつづけることで
お母さんに手を引かれてきたお子さんが
大人になり
また自分の子供を連れてくる。
あの当時の思い出と共に
子供の誕生日をお祝いする。
そんな繰り返しをしていただける
思い出いっぱいのお店にしたいですね(^O^)
夢がまた増えましたo(^-^)o




















