日本人
2011 年 3 月 11 日戦争を経験してない世代ですが
それに近い壊滅的だと思います。
復興にはかなり時間がかかります。
競争から
共創。
ともに助け合い
ともに生きる。
全国の同業のみなさん。
全国のブログを見てる方々。
ともに
力を貸して下さい。
ともに
知恵を貸してください。
戦争を経験してない世代ですが
それに近い壊滅的だと思います。
復興にはかなり時間がかかります。
競争から
共創。
ともに助け合い
ともに生きる。
全国の同業のみなさん。
全国のブログを見てる方々。
ともに
力を貸して下さい。
ともに
知恵を貸してください。
お菓子を配るとか
義援金とか
付け焼き刃でなく
もっと深いところで
日本人として
今僕らは立ち上がらねばと思います。
そのために
今まで勉強してきたのだと思います。
何かできますか?
このブログを見た方教えて下さい。
会津は大丈夫です。
停電はないです。
会津以上に
太平洋側はひどいです。
私の知人の方々
書き込み下さい。ブログ見てる方々書き込み下さい。
状況教えて下さい。
一人の日本人として
体は動くので
自分よりも大変な人の力になります。
みなさん
ご心配おかけしております。
会津もかなりの揺れで
生まれて初めての大揺れでした。
工場も店もみんな避難できました。
情報収集しましたが
太平洋側の方が
被害がひどく
仙台は停電だそうです。
同じ東北人。
同じ日本人。
同じ人間。
同じ地球人。
近くで苦しんでいます。
何かできないかと思います。
もうすぐお彼岸ですね。
太郎庵では
春彼岸と秋彼岸限定で
牡丹餅とおはぎ
をやってます。
『あんどーなつ』って漫画を見てマメ知識をゲットしたので
共有します。
春は牡丹餅、
夏は夜舟、
秋はお萩、
冬は北窓と、
同じ餅菓子を季節によって呼びわけ、
春と秋の彼岸には
先祖の供養に供えるのが
日本の文化です。
しかし、近頃はこれを無視し、
『おはぎ』という音の響きの方が
『ぼたもち』より良いからと、
一年中『おはぎ』で通す店が多いようです。
『倭漢三才図会』というのに
『牡丹餅および萩の花は形、色をもって、これを名づく』
とあるそうです。
牡丹餅をお彼岸に供えるようになったのは
江戸時代で武士の世でした。
そして武士は、
牡丹の花をとっても嫌ったそうです。
牡丹は、凄くゴージャスで綺麗な花です。
しかし、牡丹の花は
開花時期をすぎると
ボタっと、花ごと落ちるらしく
それが打ち首みたいで嫌ったのではないか?
それで牡丹餅から
『ん』の字をとって
『ぼたもち』(笑)
っていう説もあるそうです。
夏は『夜舟』と言います。
この牡丹餅やおはぎのお餅は、
普通のお餅と違い『半殺し』
と呼ばれ
杵を使わずに、すりこ木などで静かに搗きあげます。
そして昔、
世の舟は静かにやってきて、
いつ着いたかわからなかったそうです。
それになぞらえて
『着き知らず』を
『搗き知らず』にかけて
『夜舟』と呼ぶようになったそうです。
冬は
『北窓』
理由は
北の窓からは
お月様が見えません。
だから
『月知らず』
『夜舟』と同じで
『搗き知らず』にかけて
『北窓』と呼びます。
ぼた餅は
お彼岸に仏様に供える
という事からも
仏教と深い関わりがあるとわかります。
仏教の生まれたインドの
古い言語であるサンスクリット語の
『bhukta(ブッダ
)』『mridu(ムチ)』や
南方仏教の聖典用語である
パーリ語の
『bhutta(ボッタ)』『mudu(モチ)』
この
『飯』『柔らかい』
という意味の言葉が語源だと言われているんだそうです。
いろんな諸説がありますが
それを知った上で菓子を作るのが
大切なんですね(^O^)
和菓子って
面白いですよ(笑)
今日の午後は
ボンボンチェリーを作りました。
去年の初夏に
北会津でとれた
さくらんぼを
さくらんぼのお酒に漬け込んでました。
バレンタインにだすの忘れてました(笑)
半年以上熟成して
漬け込んださくらんぼは
かなり香りが強く
酔っ払いそうです(^O^)
お酒の水分を切り
砂糖を結晶化させたフォンダンをかけて乾燥させます。
その後
テンパリングしたチョコレートをさらにかけます(^O^)
赤い銀紙で包んで
出来上がり!
結構地味な作業の繰り返しです。
フォンダンやチョコレートの状態に
かなり気をつかうので
かなり手間かけちゃいました(^O^)
数にも限りがありますので
早めにお問い合わせ下さいませo(^-^)o
『アウト オブザピッチ』
ピッチの外という意味です。
サッカー日本代表のコーチ
清雲さんから教えてもらった話です。
代表を選ぶのに
技術や体力も大事ですが
ピッチの外の行動も選考の対象だそうです。
サッカー日本代表で浦和レッズの阿部選手が中学の時
噂を聞き付けた清雲さんは試合を見に行きました。
かなり暑い日でした。
試合はボロボロでした。
阿部選手の噂に失望しました。
ハーフタイム、
両チームとも暑さでバテバテでした。
そんな時でした。
キャプテンの阿部選手は
自分より先に
チームメイトにドリンクを渡してました。
倒れ込んでる選手も気づかってました。
試合後も一人
ボールを片付けてました。
その後
阿部選手はジェフ市原のユースに入り
同じフィールドで練習する
元ドイツ代表の
リトバルスキー選手を見てました。
彼にサッカーを教わり
みるみる上達しました。
元日本代表で
清水エスパルスの小野伸二選手の話です。
U17サッカー日本代表の合宿に呼ばれた時のエピソードでした。
合宿の初日
夕食の後
小野伸二選手が清雲さんに言いました。
食事を作ってくれた方にお礼を言っていいか聞いてきました。
小野選手は
料理長に言いました。
『とても美味しい料理ありがとうございました。こんなに美味しい料理食べれたら合宿が楽しくなります。おかげでサッカー上手くなれると思います。
ありがとうございました。』
料理長と清雲コーチは顔を見合わせました(^O^)
翌日、早朝練習の集合が7時でした。
中田浩二選手と稲本選手が6時50分になっても
起きてきません。
それに気づいた小野選手は
ダッシュで起こしに行きました。
二人ともギリギリ(笑)
稲本選手は第一声は
『セーフ!』(笑)
清雲さんは言いました。
明日は起こさなくていいと言いました。
小野選手は答えました。
『きっとまた起こしに行くと思います。
朝から怒られてるところを見たくないからです。
それを見ると朝ご飯がまずくなるから。
朝ご飯がまずいと
強くなれないし、サッカーが上手くなれない。』
そう言いました。
翌朝
6時半。
誰も寝坊せず、全員揃ってました(^O^)
稲本選手を見たらピースしてました(笑)
小野選手は
その世代の代表のキャプテンになりました。
キングカズこと
三浦知良選手も
代表の合宿でも
誰より早く練習場に来て
先頭切って走り
練習後には
自分の弱点を練習し
マッサージをしっかりして
食事の栄養とバランスを考えたものを食べてました。
それを見た代表選手たちは
変わっていったそうです。
いわゆるドーハの悲劇世代でしたが、
サッカー日本代表はその時代から強くなりました。
『アウトオブザピッチ』
納得でした(^O^)